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飯舘村へ
2016年04月09日
昨日は、飯舘村方面をまわりました。
飯舘村は、早期帰還に向けて除染作業が急ピッチで進められていました。
ただ除染作業をした地域でも放射線量は高く、原発事故から5年以上が経過した中で、どのように村を形成していくのか、厳しい行政運営が続くのだろうと思います。
今も小・中・高校はそれぞれ村外(福島市や川俣町など)に移転しており、
特に飯舘村は村内が避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域の3つに分かれており、いまだに全面的な帰還は行われていません。ただ線量の低い地区には家族連れの方もいらっしゃいました(おそらく掃除等で一時的に戻ったのだろうと思います)。
村内はいたるところで除染作業が進められていました。この費用は国が一時的に負担し東京電力に請求することになっていますが、支払を拒否している状況も一部にあります。
いずれにしても、原子力発電のリスクの結果が今の飯舘村の現状です。改めて原発による電力確保がいかに危険であるかを、飯舘村ひとつを見ても感じることができました。原発によらない電力の安定供給のために日本は英知を結集することこそ大切です。
ちなみに福島県は、今桜が満開です。最後にあるのは川俣町の「小手姫桜」です。