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総務文教委員会開催のお知らせ&明治期の「地方自治」

2007年08月17日

まずは私が所属している総務文教委員会が開催されることになりました。

 

  • 日時:7月20日(月) 10:00~
  • 場所:田川市役所5階
  • 議題:人事異動に伴う職員紹介、請願・陳情の審査等

 

今懸案事項になっている船尾小学校の統廃合反対の請願についても審査します。膨張希望の方はその日に市役所5階の議会事務局へお越し下さい。

 

話は変わり・・・

 

うちの祖母が昨年亡くなりその遺品を整理していたら、ある古い巻き手紙が出てきました。

 

その巻き手紙は、私の何代か前の先祖が村長をしていて、没後、村から記念碑(墓)をもらったときの祝辞の文章でした。日付は昭和12年。ちなみに今私が住んでいて、小・中学校区でもある猪位金地区は、昭和30年まで猪位金村でした。

 

その先祖は明治30年(1897年)から第4代から第6代までの村長をしています。とてつもなく昔ですが、先日114歳でお亡くなりになった田川郡福智町の皆川ヨ子(みながわ・よね)さんは、明治26年生まれ。このころにはすでにお生まれだったんですね(^^;

 

その祝辞には、村長在任中に行った実績が書いていました。村の助役や初代郡会議員を経て村長になった先祖は、小学校の移転改築、村有林の造林と官有林の払い下げ、伝染病院の創設などをこなしたとのこと。当時人口2500人ぐらいの村だったので、財政規模も権限もあまりないなかで、切磋琢磨したんだろうと思います。

  

このような文章を読んでいると、明治期の地方自治はどのように動いたのだろう、と思うようになり、田川市が発行した「田川市史(全3巻)」を読んでいました。しかしまだあまり読みこなしていないので、今度他の専門書と交えて読もうと思っています。

 

まさに黎明期といえる明治期の地方自治制度は、内務省を頂点とした中央集権システムと、国家プロジェクト遂行のための末端機関として、いろんな需要に対応しています。先例があるわけもないので、いつも手探りだったことだと思います。

 

しかし昭和12年の文章に「地方自治」という一文があったのには、とても驚かされました。現在の地方自治は第92条などで規定していますが、旧憲法下では地方自治の規定もなく、政府の末端機関としての役割が強いと一般的には言われています。地方自治と言う言葉にあう行動が地元の村でどのように行われたのかなども、田川市史に紹介されていましたし、また歴史を追ってみようと思います。

 

ちなみに猪位金村役場の建物は今でも現存していて、廃村後市立猪位金幼稚園(現在は休園中)として使われました。ちなみに私もそこに通いました(^^)

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