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福島・警戒区域視察が記事に

2012年03月07日

 私が2月2日に福島県の警戒区域内を視察した時の様子が西日本新聞福岡県版の記事になりました。

 

 津波の後も手つかずの状態の田畑。整然とならぶ商店や家々には確かに人の営みを感じさせられるものの、草木がすでに覆ってきており、数年のうちに朽ち果てていくのだろうと思います。

 

 原発立地に関する多額の交付金で、周辺自治体の役場や施設はどれも立派で、下水道なども完備されていました。しかしどれももう使うことはできません。私が見た地域の多くは「長期帰宅困難区域」に指定される可能性が高いだろうと思います。

 

 同じ日本で起きている事実。この点を踏まえどう考えていくべきか、政治の責任が最も問われていると思います。私は脱原発にむけ、これからも行動していく決意です。

  

 以下は引用です。

 

 帰れぬ我が家 福島第1原発20キロ圏田川市議が撮影

 福島第1原子力発電所の事故で一般の立ち入りが禁止されている警戒区域(半径20キロ)を田川市の佐々木允市議(30)が視察し、カメラに収めた(撮影日は2月2日)。

 南相馬市から浪江町、双葉町、大熊町へ。どこにも人影はない。病院の入り口にはベッドや車椅子が放置されたまま。民家の空き巣被害が多発していると聞いた。

 福島第1原発が近づくにつれ、手元の放射線測定器の数値が上がる。福岡をたつときは毎時0・14マイクロシーベルトだったが、3・6、14・7、23・2-。原発から約5キロ。富岡町の民家の庭先で75・65を計測すると、逃げるように車内へ駆け込んだ。帰宅不可能な状況に、視察に同行した家主の男性は肩を落としていたという。

 原発の事故処理拠点であるJヴィレッジ(楢葉町)では、真冬にもかかわらず、作業員の熱中症を防ぐためのペットボトルと塩あめが配られていた。屋根付きサッカーコートには、処分を待つ廃棄物が積み重なっていた。

 佐々木市議は社民党県連合の議員団視察で、2月1日から3日まで福島県を訪問。全域が警戒区域になった大熊町の町長の許可を得て、マイクロバスで入った。警戒区域に近いコンビニエンスストアのごみ箱には「防ご服は捨てないで下さい」と張り紙がしてあった。

=2012/03/08付 西日本新聞朝刊=

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