本文の始まりです

言葉の限界と私の考え

2006年03月10日

今日は携帯を変えるために小倉に行きました。

というのも、私の父は元々NTT(なので労働組合は全電通でした。ちなみに母はJTです)で、その付き合いもあり、機種変更をすることになりました。携帯の機種変更とかもノルマがあるみたいで大変みたいです。しかし、もう3年以上たっていたので、ちょうど良かったです♪

ちなみに機種はSH902iです。今まで使っていたのもSHシリーズだったので、同じが良いかなと思って。

あと、小倉伊勢丹の上にある本屋に行って自分の言葉のボキャブラリーを磨くため、

新聞広告キャッチコピー大百科

というのを購入しました(値段は張りましたけど・・・)。様々なテーマのキャッチが並んでいて、本当に勉強になります。2.3時間食い入るように読み、気に入ったのをメモしていきました。

しかし、ほんと言葉が表現するものって本当にわずかだな、とこの頃つくづく感じます。先日、日本フィルの演奏をきいたときも、言葉では表せない表現力の深さと大きさを実感しました。私の知人も吹奏楽を熱心にしていますが、ほんと、その奥深さに圧倒されっぱなしです。

しかし我々政治活動を行う者は、良くも悪くもすべからく言葉がすべてです。極めて制限のある言葉というものを駆使して、どうやって市民に共感を得るのか。簡単に言っていますがそれって非常に難解で、一生かかっても答えはでないようなテーマです。しかし自分の場合、目標があるからこそ頑張れるたちなので(笑)、つかめない目標に向かって切磋琢磨していく決意です。

私もそういう意味では、本当に未熟で日進月歩で自分を磨いていかないといけないな、と思っています。今の日本では政治にタッチするだけでかなりの度胸がいる(特に若い世代には)状況になっています。まして政党で活動している若者はそれだけで「ピエロ」のような存在になってしまいます。しかし、私もただの24歳の男性なんですけどね・・・。

また、政治は「経験」がものをいう職人気質的なものがあるため、若者は「まだ早い」と言う言葉で一蹴されることもあります。しかし、私達だからこそ言えることがたくさんあります。もし戦争になれば私のような人間は真っ先に戦場行き、女性は「銃後の備え」です。格差の問題だって、20代に一番大きな問題として降りかかっています。そういうことは当事者である我々が声を上げない限り、変わらないというのが私の信念です。だって、逆に私が高齢者のことを考えようにも、どうしても限界があるように、同世代でないとわからないこと、共感できないことが沢山あるからです。特に介護保険について(主は広域行政についてですが)の修士論文を書いているときにつくづく思いました。

しかし、私も20代でいるのはあと5.6年です。そんなのあっという間でしょう。その限りある時間をめいいっぱい使って、社会に訴えていきたいと思っています。

長々書いてしまいました。今日は社民党の友人から様々な思いを書いたメールをいただき(とても考えさせられる、貴重なメールでした)、私自身もいろいろ考えてしまいました。

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